早いものでPMF2022が終了して約3ヵ月。季節は秋に変わりました。このたび335枚の写真で「音楽の夏」を振り返るフォトギャラリーを公式ウェブサイトにオープンしました。 |
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3年ぶりに小学6年生がKitaraに! |
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2020年以降、新型コロナの影響で実施できませんでしたが、この夏、札幌市内7校の小学6年生(約580人)がKitaraを訪れ、3年ぶりに「音楽でつながる(Link Up)」ことができました。 |
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実施後のアンケートでは、参加した児童の86.5%が「音楽の授業が好き」と答えています。同じく90.6%が「PMFの演奏を聴いてみたい」、91.2%が「Kitaraがあり、PMFが開催される札幌は、他の地域に自慢できる街だと思う」と回答しました。 |
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文芸研究家のカジポン・マルコ・残月さんは、1987年に文豪ドストエフスキーを墓参して以来35年間、世界101ヵ国で2,520人の偉人の墓や生家を参詣する墓マイラーであり、その名付け親です。「墓マイラー」という言葉は、三省堂の国語辞典『大辞林』にも収録されています。 |
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この夏、コロナ禍の影響で3年ぶりにPMFオーケストラの音色が北海道に鳴り響きました。私にとっても久しぶりの本格的なコンサート鑑賞は、パサパサに乾いた大地に清水が流れるような、全細胞が音楽を聴く喜びにうち震えるものでした。 |
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2曲目は20世紀の代表的楽曲の一つ、プロコフィエフ(1891-1953)の《ピアノ協奏曲第3番》です。ピクニックコンサートでもKitaraの大ホールでも、ジャズ・ピアニストとして世界的に活躍されている小曽根真さんが登場すると、大きな拍手と歓声があがりました。特に野外では会場の開放感もあって、手を頭上で叩く人や指笛を鳴らす人も。この曲は突風のように目まぐるしくスピードやリズムが変化していくなかで、急に夢見るような旋律が登場するなど、まるで音の万華鏡です。小曽根さんにとって「クラシックに開眼するきっかけとなった特別な作品」とのこと、息を呑んでステージを見つめました。 |
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3曲目はドイツロマン派の巨匠、ブラームス(1833-1897)の《交響曲第2番》。平均年齢23.9歳の若いPMFオーケストラが奏でたブラームスの、ときに瑞々(みずみず)しく、ときにいぶし銀の音色が会場を満たしました。指揮者のシャニさんは堅牢な構造を持ったブラームスの作品について「楽曲から発見できることに終わりはありません。探究には一生かかります。演奏すればするほど作品と一体化し、さらに理解できるようになります」と熱く語っておられ、タクトを使わず指で指揮する姿も“一体化”という言葉を具現しているように感じました。 |
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1943年11月14日、まだ25歳の若きレナード・バーンスタインが、病に倒れた大指揮者ブルーノ・ワルターの代役としてニューヨーク・フィルを指揮したとき、ラジオ中継を聴いていた人々は、その情熱的な演奏に熱狂し、無名の若い指揮者は一躍時の人となりました。1943年といえば第二次世界大戦の真っ只中です。このときにバーンスタインがタクトを振ったのは、シューマン、リヒャルト・シュトラウス、ワーグナーといった敵国であるドイツの作曲家の作品。しかし、音楽に国境はありません。作品が人間の本質を表現しているものであれば、民族や国籍を越えて魂を揺さぶる普遍の力を持っています。 |
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(前号の続き)次に訪れたのは札幌市円山動物園に近い、円山墓地に眠る坂本龍馬の親族の墓所です。龍馬の没後、親族は北海道開拓の夢を抱き、土佐から移住しました。北海道銘菓のひとつ「マルセイバターサンド」で有名な「六花亭」の包装紙をデザインしたのは龍馬の姉の子孫、坂本直行であり、墓所もここにあります。ところが、ネット上に公開されている墓石の写真を手掛かりに3人で手分けして探したのですが、生い茂った樹木で見通しが悪く、斜面にたくさんの墓石があり、一向に見つかりません。“あった!”と思ったら、まったく別人の坂本さんだったというケースが二度、三度とあり、お墓参りをしている地元の方に聞いても「え!?坂本龍馬の関係者がここにいるんですか?」と逆に質問されるばかり。汗だくになり20分(体感時間は2時間)が経ったころ、遠くの方から「カジポンさ〜ん!」「見つけました〜!」と呼ぶSさんご夫婦の声が!合流して坂本家累代の墓誌に「坂本龍馬」の名前を確認したときに、「うおおおお!本当に北海道に龍馬の名前が!」と見入りました。龍馬の骨は京都ですが、晩年の彼は北海道で一旗揚げる計画を立てており、龍馬ファンとしては円山墓地への巡礼が宿願でした。Sさんご夫婦に心底から感謝し、正午に中島公園でお別れしました。途中でセイコーマートの本店を初訪問し、噂のホットシェフで昼食を買ったのですが、あまりに美味しそうで夕食の分まで買ってしまいました。 |
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最終日の8月1日。大阪行きのフライトは夕方なので、札幌の約40km西に位置する余市町まで、2014年の朝ドラ《マッサン》のモデルとなった“日本のウイスキーの父”竹鶴政孝夫妻にお墓参りに行きました。6時にチェックアウトし、函館本線の余市駅に降り立ったのは8時半。夫妻が眠る美園墓地は駅から徒歩30分の距離。てくてく歩き始めると、途中にニッカウヰスキーの工場があり、ヨーロッパの古城のような外観に魅了されました。墓地は小さな山と一体化しており、夫妻の墓は上の方でした。中島みゆきが歌った主題歌《麦の歌》のメロディを口ずさみながら坂道を登り、地元の人に道を尋ねて墓前に到着。「マッサン!エリー!」とドラマの役名で思わず呼びかけましたが、夫人の名はリタなので訂正して言い直しました。1929年に現サントリーの山崎蒸溜所初代所長として国産ウイスキー第1号を世に出した竹鶴政孝は、理想のウイスキーを生み出すためにサントリーを退職し、スコットランドの気候風土と似ている余市に工場を建設。こうして1940年にニッカウヰスキーを誕生させました。とことん品質にこだわり、信念を貫いた政孝。戦時中は敵性外国人として苦労を重ねたリタ夫人。2人に合掌し、私は今夏の北海道の旅を終えました。音楽、お墓、レニーの言葉、新しい出会い、いろんな思い出ができた、かけがえのない3日間となりました。PMFの益々の発展を願っています! |
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1967年大阪府生まれ。文芸研究家にして「墓マイラー」の名付け親。ゴッホ、ベートーヴェン、チャップリンほか101ヵ国2,520人に墓参している。信念は「人間は民族や文化が違っても相違点より共通点の方がはるかに多い」。 |
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