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新年も音楽とともに明るく元気に過ごすため、音に関する知識を深め、命や人生について思いを巡らす年末特別企画の2回目です。
緊急地震速報チャイムの作曲で知られるゲストの伊福部達さんは、40年以上も前から日本の長寿社会を見据え、高齢者や障がいのある人を技術で支援する福祉工学を開拓した第一人者。聴覚研究から始まった「聴く」「見る」「話す」を助ける福祉工学の知見は、現在、AI(人工知能)やロボット、バーチャルリアリティなどの先端技術で実用化されています。また、その技術は、超高齢社会の切り札として注目を集めるジェロンテクノロジー(老化現象を技術でサポートすること)やゲームなどのエンターテインメント分野での活用が期待されています。
今回は「音の福祉工学」と題し、伊福部先生の研究の原点、そして音楽の原点について語っていただきます。年末だからこそ、じっくり読みたい特別エッセイです。
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私は、福祉工学といわれる学問分野で研究をしている。学生時代に電子工学の技術を人工心臓やCTスキャンなどに応用する医療工学分野の研究をしていたが、音楽家の叔父の影響で聴覚に障がいのある人に音楽を聴いてもらおうと、この分野に入った。
長年にわたり聴覚障がいの研究をしていて「音楽は、本来、論理的・哲学的あるいは説明的なものというよりは身体で感じる原始的な刺激ではないか」と思うようになった。つまり何億年という歳月にわたって、地球環境で生まれる様々なリズムや波動が身体に伝わり、あるときは危険を知らせる刺激として、あるときは喜びや安らぎを与える刺激として脳に刻まれ、その刺激の一つが「音」になったのであろう。
今回は、私が最初に取り組んだ聴覚障がい者のための「指で聴く」装置の開発を行っていた経験から垣間見た「音楽の原点」について話したい。
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触覚と聴覚の共通性に着目。「指で聴く」装置をつくったが…
福祉工学は、人が失った「聴く」「見る」などの感覚や手足の機能を支援する工学分野で、医療技術での治癒が難しい人や高齢者を対象としている。もう半世紀の昔になるが、大学院の修士課程の時に、音を身体感覚とくに触覚に伝える聴覚障がい者のための「触知ボコーダ(※)」という装置の開発に取り組んだ。
きっかけは、1961年にノーベル生理学・医学賞を受賞したゲオルク・フォン・ベーケーシ(1899-1972)の生き方と彼の著書にひかれたことによる。電話技師で、生理学者だった彼は感覚の研究に一生を捧げた。人間の五感には共通する機能があることを、発想豊かな実験を通して実証したベーケーシは「聴覚を触覚で代行できるのではないか」と晩年に述べている。
私も「指先で点字を読めるのだから、工夫をすれば指先で音を聴けるのではないか」と考え、指先の触覚と聴覚との類似性を色々な観点から調べた。また、当時のSPレコードが音溝の凹凸の時間変化(振動)を音に変換していたため、それを逆にすれば音を振動に変えることができるのではないかと閃き、メーカーから大量のピックアップ(レコードから電気信号を取り出すための装置)を無償提供してもらい研究を続けた。完成したのが、縦16列・横3行の48個の振動子アレイを介して、指先に音を伝える装置「触知ボコーダ」である。北大の近くにあった札幌聾学校の生徒たちに使ってもらったところ、意外にも何人かの生徒は「聞こえる」と答え、その刺激ではしゃいだり、驚いて手を引っ込めたりした。「触知ボコーダ」を実験的に使用している様子はNHKでドキュメンタリー番組「指で聴いたアイウエオ」として取り上げられるなど、この装置は国内外で話題を呼んだ。しかし、現場では「触覚に与えた音声パターンをいくら覚えても言葉の理解には結びつかない」という意見が大勢を占め、私は研究を止めざるを得なかった。
※「ボコーダ」とは「ヴォイス(voice)」と「コーダー(coder)」を合わせた言葉で、音声サウンドをつくるエフェクターのこと
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30年後「触知ボコーダ」で盲ろう女性が高らかに歌う
私にとって「音の福祉工学」の原点ともいえる「触知ボコーダ」は聾教育に使われることがないまま、世界的にも研究は途絶えてしまい、その後、私は音声を文字にする「音声同時字幕システム」や聴神経を電気刺激する「人工内耳」の研究に方向転換していた。
ところが2000年頃に、触覚を介しても音が聴覚領野に伝わるという「脳の可塑性(かそせい)」の発表が相次いだ。同じ頃、東大の先端科学技術研究センターに「バリアフリープロジェクト」が発足し、手伝ってほしいという依頼に応じて2002年から東京に移り住んだ。そのプロジェクトリーダーは自らが盲でも聾でもあり、世界で初めて常勤の大学教員となった福島智さん(1962-)である。福島博士は母親と一緒に考案した「指点字」をコミュニケーションの手段としていた。通訳者が話者の声や書類の文字などを6本の指にして伝える方法である。
私は、暑い夏の日に短パン姿で初めて福島先生と会った際、「涼しそうですね」といわれて戸惑った。質問すると、わずか3秒ほどで答えが返ってくることにも驚いた。「指点字」は周囲がどのような環境なのか、誰がいるのか、その場の雰囲気はどうなのかを、指のタッチやリズム、撫で方の違いで伝えているのだった。私は意を強くし、2006年から福島研究室で「触知ボコーダ」の研究を再開した。昔と違い、コンピュータが著しく小さく安くなったことから、手のひらに乗る大きさにすることができた。
謡(うたい)の先生だった67歳の女性が「もう一度、歌えるようになりたい」と研究室を訪ねて来た。彼女は40歳の時に視力と聴覚を喪失した盲ろう者である。その夢を叶えてあげたいと、私は教え子と一緒に「触知ボコーダ」を改良した。盲ろうの人でも歌をうたえるように、歌声の高さに応じて振動する位置が上下する改良版「触知ボコーダ」を試してもらったところ、何と30分程度の訓練で「夕焼け小焼け」などの童謡が歌えるようになり、「若い頃に戻ったようだ」と喜ばれた。彼女は自分の声の高さを指先で確認しながら発声することで(触覚〜脳〜発声がループを描く)、自信を持って歌うことができたのだろう。
ヒトの脳は変わるのである(脳の可塑性)。30年前に「触覚で言葉が分かるはずがない」と基礎科学の欠如から中断した私の「指で聴く」研究は、脳科学の進歩により加速した。AI(人工知能)やロボット分野でも触覚研究が盛んに行われている。
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研究の原点から、音楽の原点をみつめる
前回、緊急地震速報チャイムを聞いた犬や猫が逃げ回るという話をした。彼らも脳の深部で、人類あるいは動物たちが共有する原始的かつ身体的な感覚刺激を受け取っているのだと思う。諸説あるものの、聴覚の起源は、魚の横腹にある「触覚センサ」であるといわれている。哺乳類の聴覚の内耳にある蝸牛(かぎゅう)管には薄い膜がはられており、その膜の振動パターンは音によって変わり、その変化を有毛細胞であるセンサがキャッチして脳に送っている。魚の横腹の表面に付いている側線器(そくせんき)という毛の生えた細胞が同様の働きをするため、この「触覚センサ」が聴覚の始まりとされる。海で生活していた魚たちは側線器を介して、敵が来たときの海水の動きは荒々しく感じ、すぐに逃げよという信号が全身に送られていたはずである。一方、静かに流れる海水ではリラックスして休んでいて良いという信号が全身に送られていたことであろう。ヒトもまた、音刺激により蝸牛管内の膜が振動し、その振動パターンによって危険や不安を感じさせる「不協和音」になったり、安らぎや喜びを感じさせる「長調の協和音」、悲しみを感じさせる「短調の協和音」になったりするのであろう。ちなみに、地震チャイムは長調と短調が混じっており、一種の不協和音にもなっている。
私が取り組んだ指で聴く一連の研究から「音楽の原点」は動物たちが獲得した原始的な身体感覚にあるのではないかと確信するようになった。その身体感覚がヒトの聴覚へと進化し、音の刺激が脳内で情動や情緒と結びついた。さらにヒトが集団で生活するようになってからは、その風土や暮らしぶりによって様々な美観や感性が形成された。そして、それを表現する歌、踊り、楽器が生まれ、やがて音楽という総合芸術へと昇華していったのではないだろうか。独断的な思いではあるが、音楽を愛する読者も音楽の起源について思いを巡らせてもらえれば幸いである。
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