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34年間で101ヵ国2,500人以上の偉人を墓参し、独自の活動と情熱で音楽家たちの人生を探究している、文芸研究家で墓マイラーのカジポン・マルコ・残月さんが、四季の連載企画でミュージック・パートナーに再登場。ウェルカムバック、カジポンさん!
記念すべき第1回は、スティーヴン・スピルバーグ監督による映画版「ウエスト・サイド・ストーリー」の公開で再び注目が集まる、レナード・バーンスタインの人生に参拝します。
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アメリカの指揮者・作曲家・ピアニスト、PMF創設者
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「誰かと分かち合えない感動は私にとって無意味だ」。“レニー”の愛称で人々から愛されたアメリカの指揮者・作曲家レナード・バーンスタイン(1918-1990)。20世紀を代表するマエストロは、14歳のときに教会の慈善公演でラヴェルの《ボレロ》を聴き、クラシック音楽に目覚めた。「初めてのコンサートで、オーケストレーションのお手本のような曲を聴いたのです。稲妻に打たれ、どうしても音楽がやりたくなった」。ニューヨーク・フィルの副指揮者となったレニーに転機が訪れたのは1943年、25歳のとき。大指揮者ブルーノ・ワルターの代役として無名の新人だった彼が指揮をすることになった。曲目はR・シュトラウス《ドン・キホーテ》。リハーサルをする時間もないまま挑んだ舞台はラジオで全米に生中継され、その情熱的な指揮で聴衆を魅了、一夜にしてスターとなった。当時は米国生まれの指揮者がまだ少なく、アメリカ音楽界の期待を一身に集めていく。
レニーは作曲家としても才能を華々しく開花させ、39歳でミュージカル《ウエスト・サイド物語》の音楽を書き上げる。挿入歌《トゥナイト》は歌い継がれる名曲となり、クラシック・ファン以外にもその名は広まった。翌年、名門ニューヨーク・フィルに初のアメリカ生まれの常任指揮者として就任、多数の公演を重ねる一方で後進の育成に乗り出し、小澤征爾やクラウディオ・アバドを補助指揮者に採用する。
レニーは核軍縮、人権擁護、教育問題、エイズ対策など、様々な社会運動に取り組んだ。NYのベトナム反戦集会ではこうマイクをとった。「政府は言う。“安易な方法は取らない、ベトナムから撤退しない”と。だが、虚勢を張り、歴史をゆがめ、軍事大国のイメージを保とうとすることこそが“安易な”方法だ」。ベルリンの壁の崩壊直後には、同地で催されたコンサートで、東西ドイツ、米、ソ、英、仏の混成メンバーのオーケストラを指揮して第九を演奏し、《歓喜の歌》の歌詞“Freude(歓び)”を“Freiheit(自由)”に変え、ドイツ統合を祝った。
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1990年、70歳を過ぎても精力的に活躍するレニーは、没する3ヵ月前に札幌で若手音楽家の育成を目的とした国際教育音楽祭パシフィック・ミュージック・フェスティバルを創始。学生オーケストラを指揮し、18日間のレッスンを通して、自らのすべてを次世代に託そうとした。楽曲はシューマンの《交響曲第2番》。レニーは冒頭で若者たちに「これから人間的で深い音楽を作りましょう」と語りかけた。第3楽章のアダージョでは、表面的な音ではなく、心の音を引き出そうとした。「もう少しだ!演奏以外の何かが見えてきたぞ!そう、心の中から何か大きいものが出てきた!」。同年10月14日にNYの自宅で肺癌のため72歳で他界した。
レニーのライブ映像を見ると、内面のすべてをさらけ出し、文字通り全身全霊で指揮している。音を消してレニーの表情を見ているだけでも落涙しそうになる。従来の大指揮者の無口で頑固なイメージとは異なり、アメリカを体現するかのように陽気で気さく、おおらかな性格のレニー。
日本には計7回の来日公演を果たし、僕は1985年のイスラエル・フィルとの演奏を大阪フェスティバル・ホールで聴いた。曲はマーラーの《交響曲第9番》。多感な高校3年生の僕にとって、驚天動地の音楽体験だった。人間がこんなにも美しいものを生み出せるのか。2階の最後列から、はるか彼方でタクトを振るマエストロの一挙手一投足を目に焼き付けんと、瞬きするのを惜しんで見つめた。終演後、会場は割れんばかりの拍手に包まれ幕が下りた。大半の観客が帰った後、僕はステージのすぐ前に移動し、残った50人ほどの観客と共に拍手を続けた。そして奇跡が起きた。舞台袖からレニーだけがひょこっと出てきてくれたのだ!ステージ衣装ではなく黒いマント姿。2メートルの距離まで近づき、笑顔で軽く手をあげ帰っていった。失神するかと思った。観客の間から「うおおおお!」とどよめきが起きた。
初めてレニーに墓参したのは2000年。フェスティバル・ホール以来、15年ぶりの再会。レニーが眠るニューヨーク・ブルックリンのグリーンウッド墓地はマンハッタンから地下鉄で簡単に行ける。「25 St」駅から200mほど南東に歩けば、ディズニーランドの城のような正面ゲートが見えてくる。バーンスタイン家の墓域は小さな丘の上にあった。ユダヤ人の墓には「あなたを忘れません」との気持ちを込めて小石を積む風習があり、彼の墓にはいくつも小石があった。音楽で世界中の人々を抱きしめようとしたレニー。たくさんの音楽の贈り物をありがとう。
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バーンスタイン家の墓所には長椅子があり、マエストロとゆっくり語り合うことができる。レニーの右隣にはフェリシア夫人が眠る。
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1967年大阪府生まれ。文芸研究家にして「墓マイラー」の名付け親。ゴッホ、ベートーヴェン、チャップリンほか101ヵ国2,520人に墓参している。信念は「人間は民族や文化が違っても相違点より共通点の方がはるかに多い」。
日本経済新聞、音楽の友、月刊石材などで執筆活動を行う。最新刊は「墓マイラー・カジポンの世界音楽家巡礼記(音楽之友社)」、NHKラジオ深夜便「深夜便ぶんか部 世界偉人伝」にレギュラーゲストとして出演中。コロナ禍になってからは海外の墓参は休止に。札幌のバーンスタイン像にリアル巡礼する日を楽しみにしているという。
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コロナ禍でも多くの方からご寄付を賜りました!
PMF2021 オフィシャル・サポート(中間報告)
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PMFオフィシャル・サポートは“必要なところに、必要な規模のご寄付を募る”公式の個人寄付制度です。コロナ禍にあっても、多くの個人の皆様から変わらぬご支援を賜りました。
残念ながらPMF2021は後半の8公演が開催中止になりましたが、チケット返金額をPMF2021オフィシャル・サポートやPMF2022フレンズ会費に回してくだった会員様が多数いらっしゃいます。
おかげさまで“オフィサポ”は9年目を迎えました。「小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道」というイチロー選手の名言もあるように、1口1,000円のサポートが若い音楽家が学ぶPMFで大きな力になっています。皆様のあたたかいご支援に心から感謝と御礼を申し上げます。
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ご寄付は税控除の対象となります。
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1990年から2021年までにPMFで学んだ若手音楽家は、世界77ヵ国・地域から延べ3,600人以上。修了生たちがPMFの「過去」「現在」「未来」について語るコーナーです。 |
長尾 まりあ さん
PMF2011、2014
出身国:フランス
所属:リヨン国立歌劇場管弦楽団
楽器:ヴァイオリン
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オーディションに合格し、アカデミー生として参加した当時のPMFの印象や思い出は? |
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幸運にも2回PMFに参加することができました。
2011年に初めての参加が決まって、プログラム・指揮者・ホール…すべてが素晴らしく、日本に行く前からワクワクしていました。それまでに私は3回しかオーケストラで弾いた体験がなかったので、すごく緊張していたのを覚えています。
世界的に有名なTokyo Quartetの1st ヴァイオリニストMartin Beaver(マーティン・ビーヴァー)さんと室内楽を弾けたことは一生の思い出です。
2014年の時はオーケストラの経験も増えていたので、様々なプログラムを楽しく弾けるようになりました。
いろんな国から来ているアカデミー生との交流もPMFに行ったからこそできたことだと思います。おかげで、それまで使う機会がなかった英語も上達しました。世界中に仲間がいるって素敵ですよね。 |
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PMFはまりあさんのキャリアにどのような影響を与えていますか? |
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2011年と2014年の2回、PMFに参加してからオーケストラで働きたいという想いが強くなり、2020年9月にリヨン国立歌劇場管弦楽団(Opéra de Lyon)に入団し、1年間のトライアルを終えて正団員になりました。
この1年を通して、いかに人々に音楽の素晴らしさ、楽しさ、感情が豊かになるのかを伝えていくことが大切だと思いました。それは初めてPMFに行った時にも感じたことで、音楽家を目指している人にPMFという素晴らしいオーケストラ教育のシステムがあることを知ってもらいたい気持ちが強くなりました。 |
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修了生の一人として、PMFにはどんな音楽祭であってほしいですか? |
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オンラインだけではなく、実際に札幌で世界中の音楽家が集まり、それぞれの経験をシェアしてお互いを高め合って、音楽の素晴らしさを世界中の人々と一緒に感じることができるのを願っています。 |
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Maria Nagao(長尾 まりあ)
5歳半にフランスで母とヴァイオリンを始め、毎年モスクワの先生Valentina Korolkovの講習会に参加。17歳でパリ国立高等音楽院に合格、Roland Daugareilに師事。パリ国立高等音楽院大学院ではSvetlin Roussevに師事。卒業後、リヨン国立高等音楽院大学院の室内楽科にピアノトリオ(Trio Verthé)で入学し2年後に卒業。2020年9月にリヨン国立歌劇場管弦楽団に入団。
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趣味
3年前から音楽家として健康管理、筋肉の使い方を考えてヨガを真剣に習い始めました。楽器を弾く際にもすごく楽になり、もっと知識を深めたいと思い、去年の夏にヨガ国際インストラクターの資格を取りました。その前に取得していたアロマテラピーの証明書と合わせて、アロマヨガのレッスンをしています。今後はオンラインで音楽家のための呼吸法、コンサートのための身体作り、瞑想やリラックスの仕方を伝えていけたら嬉しいです。
料理を作るのも食べるのも好きなので、グルテンフリー、乳製品フリーのレパートリーを増やしながら毎日楽しんでいます。
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