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先月、初のゲストとしてミュージック・パートナーに登場したカジポン・マルコ・残月さん。ベートーヴェンはカジポンさんの最愛の人だけあって、その情熱的で、面白くて、優しいエッセイは大好評でした。
ところで、去る12月5日はモーツァルトの命日。来たる2021年は彼の没後230周年となります。師走は“誕生と死去”で古典を代表する二大作曲家の人生が重なるシーズンです。
夭折しなければベートーヴェンの師匠になっていたモーツァルト。35年の短くも華やかな人生を送ったクラシック音楽界の天才は、驚愕の墓エピソードを持つ偉人でもありました。
前回の「ベートーヴェン賛歌」に続き、今回は「モーツァルト挽歌」と題して、天才音楽家の生涯を見つめる“超ロング”な書き下ろしエッセイをお届けします。続くコーナーではオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の逸話もありますので、どうぞお楽しみに。
熱いアンコールに応えて、文芸研究家で墓マイラーのカジポン・マルコ・残月さん、再登場です!
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天才は5歳から作曲家・ピアニストとして活躍
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2021年はモーツァルトの没後230周年。モーツァルトは人生の最後がとても寂しかっただけに、心を込めて追悼したい。彼が活躍した18世紀は、音楽家は地位が低く尊重されていなかった。貴族のサロン演奏会などで常に新曲を要求されたにもかかわらず、演奏はいつもBGM扱い。貴族たちはお茶とおしゃべりに夢中で、まともに聞いていなかった。作曲家の苦悩や人間性を音楽に反映する土壌はなく、求められたのはただただ心地よい音楽、親しみやすく聞きやすい音楽だった。モーツァルトはそれが我慢ならず、聴衆にもっとハイレベルな要求をした。『聴き手が何も分からないか、分かろうとしないか、僕の弾くものに共感できないような連中なら、僕はまったく喜びをなくしてしまう』(父への手紙)。その結果、晩年は貧困にあえぐことになった。
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就活失敗、母の死、失恋…モーツァルトの“苦節十年”
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17歳の夏に就職先を求めてウィーンに旅行するも、ウィーンにはグルックやサリエリなど有能な作曲家がひしめき、駆け出しの青年作曲家が就ける職はなかった。失意の帰郷となったが、大きな音楽的収穫があった。当時41歳のハイドンが、社交的な音楽よりも内面表現を重視した作品を打ち出し始め、若きモーツァルトはこれに影響を受けて作風が変化する。交響曲に初めて陰のある短調を使い、通常の倍となる4本のホルンを使用するなど、ドラマチックな「交響曲第25番」を完成させた。他にもピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲にも意欲的な作品が生まれていった。
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絶頂期の到来。楽都ウィーンで大ブレイク!
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1784年(28歳)、ウィーンに出て3年目。モーツァルトは人生の絶頂期にあった。ウィーンいちの人気ピアニスト兼作曲家として楽壇の寵児となり、午前中は生徒のピアノ指導、夜は演奏会、その間に次々と新作を書いた。収入も増えてウィーンの一等地に転居している。初めての予約演奏会(私的音楽会)で披露した「ピアノ協奏曲第14番」は大喝采となり、父への手紙に『会場はあふれんばかりに聴衆がいたし、いたるところ、この音楽会を誉める声で持ちきりです』と報告している。この1年だけで6曲のピアノ協奏曲を書き、いずれも芸術的な欲求が反映されたものとなった。中でも「第17番」について作曲家メシアン(1908-1992)は『モーツァルトが書いた中で最も美しく、変化とコントラストに富んでいる。第2楽章のアンダンテだけで、彼の名を不滅にするに十分である』と絶賛。「第18番」のウィーン初演を聴いた父レオポルトは手紙で『各楽器の多様な音色の変化に、満足のあまり涙ぐんでしまった。演奏後、皇帝(ヨーゼフ2世)は「ブラボー!モーツァルト!」と叫ばれた』と報告している。
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人生は残り5年。天才モーツァルトに訪れた光と影
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その後も30歳でオペラ「フィガロの結婚」、31歳で「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」を書くなど、作曲技術の粋を凝らした力作を発表していくが、だんだん人気に陰りが見えてくる。個性や芸術性を込めたモーツァルトの音楽は『難解』『とても疲れる』と思われ、かつては予約者でいっぱいだった演奏会が、一人しかいない日もあった。作曲の注文は減り、ピアノの生徒も激減した。モーツァルト夫妻には浪費癖もあり、演奏旅行でもらった贈り物は次々に質入れされた。モーツァルトは“分かりにくい音楽は必要とされない”という壁にぶつかり苦しんだ。
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「レクイエム」作曲中に絶命。お墓は廃材のリサイクル!
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1791年、モーツァルト最後の年。夏頃、オペラ「魔笛」の作曲などで過労から健康を損ねていたモーツァルトのもとに、灰色の服をまとった謎の男が訪れて「レクイエム」の作曲を依頼した。男の正体はある音楽愛好家の貴族の使者だった。7月に第六子フランツが生まれる。夫婦は6人の子を授かったが、成年に達したのは第二子のカールとフランツだけだ。秋に「魔笛」が初演され、7歳のカールがオペラに興奮してはしゃいだ。宮廷楽長サリエリが観劇に訪れ、モーツァルトは妻に手紙を書く。『サリエリは心を込めて聴いてくれ、序曲から最後の合唱までブラボーやベロー(美しい)を言わない曲はなかった』。この手紙には『僕は家にいるのが一番好きだ』と記しており、妻への最後の恋文となった。
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1967年大阪府生まれ。文芸研究家にして「墓マイラー」の名付け親。ゴッホ、ベートーヴェン、チャップリンほか101ヵ国2,520人に墓参している。信念は「人間は民族や文化が違っても相違点より共通点の方がはるかに多い」。
日本経済新聞、音楽の友、月刊石材などで執筆活動を行う。最新刊は「墓マイラー・カジポンの世界音楽家巡礼記」(音楽之友社)、NHKラジオ深夜便「深夜便ぶんか部 世界偉人伝」にレギュラーゲストとして出演中。次回の放送は年の瀬も押し迫る12月29日(火)の予定。
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PMF✕ゲルギエフで観たかった!カジポンさんが教える
「ドン・ジョヴァンニ」のエピソード3選
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書籍のご案内
カジポンさんの墓参りコラムを収めた『墓マイラー・カジポンの世界音楽家巡礼記』が音楽之友社から好評発売中です!
全編カラーで、墓所までのアクセスや音楽関連施設の情報も充実。ステイホームの“世界旅行”は私たちの想像力で何倍も楽しいものに。実際に旅する時に味わう感動と喜びは格別なことでしょう。
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おかげさまで今月号から創刊7年目に!
バックナンバーのご案内
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“情報の定期便”として2014年11月に創刊したミュージック・パートナー。今月号から7年目に入りました。読者の皆様、ありがとうございます。これからも様々な切り口でPMFの話題をお届けしますので、どうぞよろしくお願いします。
公式ウェブサイトにバックナンバー(2020年8月号から11月号まで)を公開しました。
例えば、カジポンさんのベートーヴェンのエッセイを見逃した方も再読したい方も、ウェブでゆっくりとご覧いただけます。ぜひ、チェックしてみてください!
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4月号で発表したとおり、PMF2020は新型コロナウイルスの影響で開催中止となりました。その後、2021年に音楽祭を再開するための資金として、多くの皆様から個人寄付を賜るとともに、あたたかいメッセージをいただいております。この場をお借りして心から感謝と御礼を申し上げます。
現在、ファンの皆様の応援を力にPMF2021の開催準備を進めております。
例年であれば、PMFオーケストラを率いる指揮者やメインのプログラムを発表する時期ですが、国内外の感染状況等を見ながら調整しているため、進捗が遅れております。全体的なスケジュールが“後ろ倒し”となる可能性が高いことを、他でもないファンの皆様には、このタイミングで率直にお知らせする次第です。
これにともない、フレンズ(賛助会員)のご案内やチケット販売等のスケジュールもずれ込むことになりますが、いつも応援してくださる皆様に喜んでいただけるよう、準備を続けてまいります。
今後の動きは、公式ウェブサイトとミュージック・パートナーでお伝えしますので、ご理解・ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
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2021年の夏、ふたたび“音楽の夏”に!
あたたかいご支援をお待ちしております。
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ご寄付の額(12/23 現在)
4,689,000円
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ご寄付の額(12/23 現在)
1,849,000円
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「寄付金受領証明書」を順次発送中です。
確定申告に間に合うように
2021年1月末までに郵便で送付いたします。
確定申告期間
2021年(令和3年)2月16日〜3月15日
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