|
|
|
|
|
|
8月25日は、20世紀を代表する指揮者で作曲家、そして教育者のレナード・バーンスタイン(1918−1990)の100歳の誕生日です。クラシック音楽界のスーパースターにして、世界のセレブリティだった彼の誕生日と功績を祝い、同日、アメリカのタングルウッド音楽祭ではGALAコンサートが開催されます。出演者には、クリストフ・エッシェンバッハ、マイケル・ティルソン・トーマス、五嶋みどり、トーマス・ハンプソン、ヨーヨー・マほか、バーンスタインにゆかりのある豪華アーティストが勢揃い。
|
PMFウィーンでおなじみ、ライナー・キュッヒル先生はウィーン・フィルのメンバーとして、PMF2018のアカデミー生(2人)も特別編成のオーケストラ・メンバーとして参加します。
生涯、コスモポリタンの精神で音楽と人を愛したバーンスタイン。100歳の誕生日には、彼が注いだ愛情に負けないくらい、世界中の人から祝福を受けることでしょう!
|
|
|
|
|
公式ウェブサイトで Happy 100th Birthday, Lenny! を公開中!
|
|
|
|
PMF2018 ビフォーアフター 〜アカデミー生の参加前・参加後の心境は〜
|
アカデミー生たちが札幌に到着したのは7月2日、全日程を終えて帰路についたのは8月2日。その間の滞在日数は32日です。
11倍を超えるオーディションに合格し、アカデミー生として音楽祭に参加する前(Before)と参加した後(After)の心境はどうだったのでしょうか?4人のオーケストラ・アカデミーのコメントをご紹介します。
|
After(参加後)
PMF2018に参加した期間は、あなたの20代の100分の1以下の時間ですが、あなたの音楽性やこれからの人生に影響を与えるものになりそうですか?
|
|
|
ヴァイオリン
ジェミン・タンさん
Jieming Tang
中国
ジュリアード音楽院
|
|
Before(参加前)
PMFの一員として、初来日ができてとても光栄です。
|
|
|
After(参加後)
音楽的にも私個人としても、これ以上ないというほどの充実した1ヵ月でした。素晴らしい音楽家である教授陣と世界中から集まった仲間たちと音楽に浸りながら一緒に演奏し、さらなる高みを追い求めたことは、自分にとって忘れることのできない、人生を変えるような経験となりました。日本文化の素晴らしさも忘れられません。
|
|
|
|
|
ヴィオラ
ラファエラ・パフナーさん
Raphaela Pachner
オーストリア
アントンブルックナー私立音楽大学
|
|
Before(参加前)
大好きなことをする時、人に違いはありません。日本に来ることも素晴らしい音楽を創ることも、とても楽しみにしています。
|
|
|
After(参加後)
私にはプロ奏者としての経験も、ユース・オーケストラに参加した経験もあるのですが、PMFで初めての体験をしました。それは、良い意味で、自分の限界まで達した感覚を味わったことです。私はPMFのコンサートに自分が持てるすべてを捧げました。今では「やりきった」という喜びを感じつつ、みんなで本当に特別なものを創り上げたという感慨に浸っています。
|
|
|
|
|
ホルン
ヴィクトリア・カニューツォンさん
Victoria Knudtson
アメリカ
カーティス音楽院
|
|
Before(参加前)
音楽を通して純粋な喜びと絆を感じていただけるよう願っています。
|
|
|
After(参加後)
信じられないほど素晴らしい経験でした。PMFがユニークな音楽祭なのは、世界中から集まった人たちが日本文化を体験しながら、音楽を共通言語にコミュニケーションするところです。生涯の友もたくさんできましたし、日本の文化と食を知って豊かな気持ちにもなりました。音楽面では、セクションでの様々な役割や室内楽の経験、ホルングループとの交流を通して、演奏技術も音楽性もぐんと広がりレベルアップしたと思います。PMFが大好きです!
|
|
|
|
|
パーカッション
石川 慎也さん
Shinya Ishikawa
日本
北翔大学
|
|
Before(参加前)
PMFならではの異文化交流を楽しんで勉強したい。
|
|
|
After(参加後)
自分の中で凝り固まっていた音楽に対する価値観が大きく変化しました。とても短い時間でしたが、私の人生にとってかけがえのない、とても大切な、内容の濃いものとなりました。PMF2018に参加して音楽が、オーケストラがもっと大好きになりました。将来に向けて、人間として音楽家として大きく成長できるように頑張ります。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1989年12月、バーンスタインはロンドンにいた。ロンドン交響楽団の演奏会で、自作の「キャンディード」を振るためであった。「キャンディード」は、1956年、18世紀フランスのヴォルテールが書いた同名の小説をもとに作られたミュージカル。バーンスタインが若き日に書いた「キャンディード」全曲を指揮するのはこのときが初めてであった。亡くなる10ヵ月前、これはまさにバーンスタインの遺言というべき公演であり録音であった。
バーンスタインは、コンサート(映像が残されている)のなかで、わざわざ時間をとって、ヴォルテールの書いた小説が当時の宗教的不寛容に対する風刺であったように、この作品が1950年代のアメリカで吹き荒れたマッカーシズム(そのとき、バーンスタイン自身も自国政府からパスポートの発行を拒否されたりもした)に対する抗議の意味を込めて作られたことを、語っている。彼はどうしてもこのことを言っておきたかったという様子であった。
「キャンディード」は、話が世界各所に飛ぶ奇想天外なストーリーだが、バーンスタインはそれに合わせてバラエティ豊かな音楽を作った。「オン・ザ・タウン」、「ワンダフル・タウン」、「ウエスト・サイド・ストーリー」がニューヨークを舞台にしているのに比べ、「キャンディード」は、ヨーロッパを中心とした世界各所を舞台とし、バーンスタインのミュージカルの中で最もヨーロッパ的なオペレッタに仕上がっている。
なかでも最後の「われわれの庭を耕そう」の合唱は、マーラーの交響曲のフィナーレにも匹敵する壮大な音楽だと私は思う。
バーンスタインが自らの交響曲のなかで、マーラーのようなある意味“ベタ”な作品を書けなかったのは、時代のせいであったに違いない。20世紀後半のクラシックの作曲界では、前衛的な“現代音楽”(シェーンベルクの系統を引く音列技法や無調性音楽)が全盛であり、作曲家がクラシックの作品で憚りなく調性音楽を書くことはほとんど不可能であったし、マーラーのような“感動的な音楽”を書くことは許されなかった。交響曲第3番「カディッシュ」(1963年)でも大きく盛り上がったかと思うとするりとかわしてしまう。そんなバーンスタインが最も壮大で感動的なフィナーレを書いたのは、交響曲ではなく、ミュージカル「キャンディード」のラストであった。
「われわれの庭を耕そう」の最後で、全員がこう歌う。
「われわれは純粋でなければ、賢明でもなく、良い人でもない。われわれは自分の最善を尽くすだけ。自分たちの家を建て、森を切り拓いて、われわれの庭を耕そう」
バーンスタインだって、決して、聖人ではなかった。失敗も多い、人間臭く、寛容な人だった。だからこそ、彼は人を愛し、人に愛されたのである。
|
|
※試聴できる期間はメール配信日から30日以内です。
あらかじめご了承ください。
|
|
|
|